day1から書こうかと思ったが、出会いを振り返らないわけにはいかないなと思い、0を書き始めると意外と楽しくていっぱい書いてしまった。
アゲハを登る日々にはアゲハ以外の日も重要なので、それも書くことにする。
アゲハに出会った4日後、武庫川に福田さんといた。新年早々で人はおらず、ひたすら『大猿回し』に打ち込む。
福田さんはこれもあっさり再登すると、ヒールが下手な僕にひたすら登れる方法ないか一緒に探ってくれて一日がかりで何とか完登。申年のスタートを切る。
その一週間後には笠置へ。
この日は寒さと戦いながら『チャリオッツ』完登。これが初めての二段。相変わらず『鰻』は登れなかったし、岩が好きになったわけでもない。
調子が良いときには怪我をする。クライマーあるあるだとは思うが、我が身にも降りかかる。
2月にアネックスのケンケンさん課題で右足首外側の靭帯一部断裂。しばしギブス生活を送った。
足は比較的すぐ治り、GWには恒例の残雪登山。
登山の相方である東と乗鞍岳に向かうも山頂目前で強風により自分だけが敗退。強風に耐えるため身体を大きく傾けながら山頂に向かう東が印象的。僕は強風に立っていることができず、恐怖心で一杯だった。
GW過ぎるとまたもやコンペモードに。
バムのプチコンペで2位入賞。相変わらず2位が多い。
その後GRツアーを神戸で出るも本戦出場ならず。
悔しすぎて東京大会にも出場するも、またしても敗退。
その一週間後にはラブロックのコンペ出るも決勝出れず。
リザルトの写真見返すとズミさん、ヒロキチさんの上にいる。勝ったことないと思っていたから意外。
というかめっちゃコンペでてたのか。
夏は登山モードで寝ずの鹿島槍ヶ岳から五竜岳という過去イチしんどかったルートに。
10月になって福田さんから行者に誘われる。
『ゴリラーメン』と『ゴリラウーマン』をサクッと登るも『泥沼』を触ってまさに泥沼に。松田さんの泥沼伝説も聞きながらトライ。
2手目も取れへんし、何やこれ!難しすぎるやろ!『チャリオッツ』と同じ二段なのか…と愕然とした。
長くなったが、アゲハに繋がるところに戻る。梅田にレンタカー返した後、二人でラーメンに。『泥沼』難しかったなーとワイワイ。
ここで初めて口にした。
「アゲハに登りたいんですよ」
「本気で言ってるん?いやでも面白そうやん。」
インスタでも書いたが福田さんはポジティブに背中を押してくれた。
あんな課題登れるわけない。僕の認識でもそうだったが、福田さんもおそらくそうやったんやろう。(いや、福田さんは違うかも。)
でも挑戦がしたかった。無謀とも言えるぐらいの挑戦が。
限界に挑みたいって意味ではコンペティター感覚だったのかもしれない。
既に岩が好きになっていたのかもしれない。今となっては定かではないが、クライマーとしては挑戦したいという感覚は常に持っているつもりだ。
ずっとアゲハに登りたいと頭にあったわけではない。それどころかアゲハを認識した後は、綺麗さっぱり存在を忘れていた。
それが『泥沼』で完全敗退したときに急に思いだした。
絶望的な登れなさ。
いや、『泥沼』どころじゃない絶望。なぜか『泥沼』を打ち込みたいってなるのではなく、より困難な挑戦をしたくなった。