北山アゲハ

忘れないために、忘れるために、振り返る

北山公園 最後の楽園

今シーズンの北山公園が終わった。

情熱を持って月光岩に挑み今シーズンこそ登るはずだった。しかしエンジンはかかることなく5日間トライしただけ。それでも絶望感はない。

登れなかった要因は、あげ出すとキリが無い。シーズン前に冷酷に集中した後に少し燃え尽きた。さらに身体のピークをそこに持ってきた。スタンス崩壊してバラせなくなった。暖冬だった。暖冬だった。暖冬だった。

まあ暖かったのは事実だが、やはり一番はスイッチが入らなかったことだ。

スイッチ入らなかったのは自分の気の持ちようでしかないが、その一因が北山公園の再発見だ。

ヤマダリングをして気づいたが、今まで岩を登っていたが課題を登っていただけで岩を探す感覚はなかった。岩の近くを通ったとしてもそこに課題を見出す感覚はなかった。それがヤマダリングを始めてからは岩を探す感覚が出てきた。

昨シーズン末に少しこの感覚が芽生えてきていたこともあり、北山公園番外地トポのエリアを徘徊していた。それでも日本のボルダリング発祥地とも言われる古いエリアで、そうそう見つかることはなく、一つ気持ちのいいダブルダイノ課題ができたぐらいであった。

 

今シーズンが始まって月光岩に大敗退したある日のこと。将棋岩の前を通ることすら嫌になって、車道を歩いて帰ることにした。うちひしがれて歩いていると、北山公園に大きな岩群が見える。あんな岩あるのか?そう思って航空写真で確認するとトポにもない南西部のゾーンだった。ワクワクが湧いてくる。

 

翌週福田さんに声をかけてそのエリアに足を踏み入れる。すると普段のアプローチから10mほどしか離れていないところに5mはある綺麗な岩が待ち構えていた。

この岩は流石に誰か登ってそうだが、さらに奥へとしばらく歩くとパラパラと岩が出てくる。何だこのエリアは?北山公園にこんなところがあったのか!?10年ほど通って初めて気がついた。こんな岩の楽園が北山公園に残されていたとは。

勝手ながらラストパラダイスエリアと名づけることにした。少し前にモンゴル800が出したアルバム名にもちなんで。北山公園に残されていた最後の岩の楽園ではないだろうか。

そこからは月光岩は忘れたかのように岩を掃除しては初登するという幸せな日々を過ごした。

 

新幹線岩

松霰岩

 

限界に一人で挑んでいた世界から、友人と新たに課題を見出す世界に。気づけば10課題以上はできていて、気づけばシーズンは終わっていた。プロジェクトも残っている。

 

来シーズンはこのエリアを完成させよう。

そして月光岩にも挑戦しよう。