狂ったリズム

初めて岩場で大きめの怪我をした。
反省の意味を込めて振り返ることとする。
クライミングは自己責任、そう思っているが実際に怪我をすると色々な人に迷惑をかけるのを改めて感じる。
思い返すと今回は始めから何かがおかしかった。2泊3日の沖縄家族旅行。結婚してから旅行の一部にボルダリングを組み込むのは毎度のこと。今回も当然のように初日の最初の行程に組み込んでいた。
最初の違和感は出発数日前。晴れ男にも関わらず、行く予定の3日間だけ天気が優れない。おかしい、そんなわけない、実際いけば晴れるだろう。少し違和感を感じながらも当日を迎えた。
次におかしいと思ったのは到着時。なんだかんだ降らないとたかを括っていたが、雨雲レーダーを見ると完全にアウト。プランを切り替えて水族館に向かい、クライミングは3日目にスライドさせる。
初日、二日目と完全に楽しい家族旅行で、さらにお腹をひたすらに満たしまくる。お腹周りの感覚が少し鈍いが、まあ大丈夫だろう。三日目は曇り予報だし、コンディションとしては悪くないはずだと思って二日目の寝床につく。
そして三日目の朝。起きると10時から雨の予報になっている。歯車がどんどん狂ってきている。岩場に着くのは10時の予想。何とかもってくれと願って具志頭に向かう。
到着。
今にも降り出しそうだが、まだ降っていない。いつものリズムを取り戻した。そう思って岩の前に向かう。
しかし、ここでまた違和感。ランディングはほぼ砂浜のイメージだったが、ガレ場のような状況。完全な記憶違いで波長が乱れる。前回もノーマットで問題なかったし、今回も大丈夫と思っていたものの少し違和感を覚えながらも、今にも雨が降りそうな空を見上げて急いで取り付く。
5年前から成長しているし、1トライで登れるかもしれない。自信なのか慢心なのか分からない感情のままにスルスルと核心まで進む。そして核心かつほぼ終わりのホールドを見上げた時に、あまりの遠さに手も出さずに降りる。
全く成長していない。それどころか後退している。そうか、5年前はアゲハのために一年かけて作った身体で挑んでいたのか。
登れないかもしれない。嫌な感情に包まれる。しかし、長年の経験でこの感情は振り払うことができると分かっていた。数トライのうちに振り払えるはず。しかし、いつ降るか分からない雨で時間がない。十分なレストを取らずにトライを重ねる。昨日見ていたジャパンカップではそんなレスト時間はもらえないぞ、と比較にもならないようなトップクライマーと比べながらトライを続ける。
やはり数トライで核心への絶望感はなくなったが、気持ち悪さは一向に消えない。それでも妻と息子が見ている。妻の前での敗退は慣れているが、息子の前では何としてでも登りたい。
8トライ目。核心ができずに着地に違和感を感じる。ガレの中に埋まっている大きな石。ちょうどそのあたりに落ちるのか少し痛い気がした。
大丈夫、登れる。自分に言い聞かせてレストもほぼせずに取り付く。近くで見ていた息子が少し離れていたが焦って取り付く。頭の中で警告ランプが灯っている。核心にたどり着くと案の定、手は持てていないし、足も乗れていない。敗退したくない、そう願って闇雲に手をのばす。
ドサッという着地音の中にグキっていう音が混じって聞こえる。
もう一回登れるかな?そんな考えは微塵も出てこない完全終了のお知らせ。「折れたかもしれない」妻にすぐ伝えて靴を脱ぐ。
思えばずっとリズムが狂っていた。
沢山の警告があったのかもしれない。
全てを無視して突っ込んだ結果である。
今までは持ち前の運に助けられていただけなのだろうか。
いつも取っている安全マージンをかっこいい父親でありたいという一心で削ってしまったのだろうか。
本当に情け無い。
腫れてくる足首をさすりながら、明日以降の仕事の調整のため上司に連絡をとる。
自己責任ではあるが、迷惑はゼロにはならない。本当に申し訳ないと感じる。
自力で家に帰ることで精一杯である。
岩場で今まで大きな怪我をしてこなかったのはコントロールできていたからなのか、運が良かっただけなのだろうか。
持ち前の運はどこにいったのだろうか。屈託のない笑顔を見せるこの息子に移ったのだろうか。
それならば何の悲しさもない。全て息子に譲ってやりたい。
そういえば、沖縄に来るために息子は初めての飛行機に乗ったのだが、幸運なことにピカチュウジェットに乗ることができていた。
北山月光岩 day56

今シーズン初の寒波で抜群のコンディションを確信して北山公園に
前々回、久しぶりに2手目を捉えたことで期待が膨らんでいたが、前回に初手が欠けて絶望の淵に立つ。まだ可能性がある。そう信じて取りついたが早々に夢は砕かれた。
ついにスタートの右手も欠けた。
もうこの課題は僕の手には負えない。
僅か数トライでソールに穴が開くというのもメンタル的にかなりきつい。
岩が変化する。靴も変化する。
身体を慣れさせようとしても、固定化されないのだから慣れることができない。
潮時かな。
50日やって後戻りはできない気もするが、この二週間の岩のかけ方は、諦めろと言われているのかもしれない。
頭の中がぐちゃぐちゃになりながら、少し癒されようと思ってアゲハに向かう。
もう夕方だし誰もいないだろうと思って近づくと見覚えのあるマット。
藤原さんだ。
久しぶりに話をすると、どうやら去年事故で肩の靱帯を切ってしまったらしい。
昨シーズンは一度も会わなかったので、とうとう諦めたのかと思っていた。
そんな自分が恥ずかしくなった。
アゲハへの挑戦は10年はゆうに超えているだろう。60歳も超えている。
それでもまだ諦めていないとは。
僕も諦めるわけにはいかないか。
北山月光岩 day52

まだ半袖短パンでちょうどいい季節ではあるが、自分の気持ちを確認するためにも月光岩に。
結局シーズンオフは特にトレーニングをすることもなく、ヤマダリングを楽しんだりジムで緩く登ったりと気儘に過ごしていた。
「本当にこのラインを登りたいのか?」
その質問の回答は「Yes」でしかないが、「本気で登りたいのか?」と聞かれると、答えに詰まってしまうだろう。アゲハのときはシーズンオフも含めて真剣に取り組んでいたし、四六時中どうやったら登れるかを考えていた。
今はどうかと言われると、とてもではないが全力で取り組んでいるとは言い難い。それで登れるほど甘い課題ではないのは分かっているが、情熱を失ってしまっているのだろうか。
その気持ちを確かめるためにも、夏日の10月上旬に岩の前に立った。何も変わらず出迎えてくれた月光岩を見ると、やはり登りたいことに変わりはないのだが、情熱が湧き上がってくるとまでは言い難い。
アゲハのときは自身のグレード更新もかかったいたし、限界への挑戦というイメージが強かった。一方で月光岩は、その雰囲気はない。やり続ける理由は何なのか。
初登でもない、グレード更新でもない、しびれるほどのかっこいいラインでもない。家から近いし他にやりたいことが特にない、というのは大きく外れているわけでもない気がする。今さら辞めることができないというのもあるかもしれない。
そんなモヤモヤした気持ちを振り払うために、岩に取り付く。昨シーズンの終盤同様に離陸がしっかりできない。
しばらくトライしても離陸ができない。
改めて動画を見ると、右手のホールディングが微妙に違うことに気づく。厳密にいうと、保持しているのは親指だけなのだが、親指以外の4本の指の形が違った。
こんなに何年もやっているのに、そんなことも分かっていなかったのか。
愕然とするとともに、この課題のことをもっと知りたいという気持ちが湧いてくる。
こんなことも分かっていないのに諦めるわけにはいかない。
やる。
徹底的にこの課題を理解したい。
草野さんの足跡を追いかけて 完

草野さんのヤマダリングの話に衝撃を受けてから4年。草野さんが縦走でヤマダリングをした道を毎年少しずつ追いかけてきた。
黒部五郎に始まり、槍ヶ岳のカール、横尾右俣ときて、残されていた三俣蓮華岳周辺に今年は足を運んだ。
相変わらず草野さんの足跡は大きすぎて登れないものも多かったが、素晴らしい景色と岩に出会うことができた。
テントを担いで一週間岩を巡った草野さんには到底及ばないが、少しは近づけただろうか。
今までのヤマダリングは多少の情報もあって、いわば既存課題を登るようなもの。これからは開拓ともいえるようなクリエイティブな登りもできれば幸せだろう。
登山をしながらボルダリングをする。
そんな最高の遊びに出会えて幸せ。
クリエイティブとは何か。
自分らしい登りとは何か。
別にそんなこと考えて登る必要はないし、登る行為そのものが楽しいのだからそれだけでいい。
ただ、僕にとってクライミングはライフスタイルである。であれば、自分らしい登りをしてみたくなるものだ。
クリエイティブなことをするためには、基礎が必要だし歴史を学ぶことも必要。
この4年は草野さんの足跡を追いかけて、草野さんを感じながら登ってきた。北野さんにも色々教えてもらって追いかけて登ってきた。
少しはヤマダリングのことが分かっただろうか。先人のクライマーには到底敵わないが自分らしい登りをしていきたい。
北山月光岩

気づけば3月も終わり、30代も終わった。
アゲハを5年、月光岩を4年。毎シーズンの週末はほぼ北山公園で過ごした。130回は阪急甲陽線に乗っただろうか。見事なまでにクライマー人生の30代を北山公園に捧げた。ひょっとしたらクライマーとして一番脂が乗っている時期だったのかもしれない。もっと色んな岩場で、多くの岩に登ることもできた。経験値も上がって今より強くなっていたかもしれない。
それでも後悔は全くしていない。狭い世界で細々と登っていたが、多くのクライマーと出会うことができたし、苦しくもあり、楽しくもある日々だった。
30代を北山公園に、たった二つの岩に全振りする。そんなクライミング人生もあっていいじゃない。それが私のクライミングスタイルだ。
30代のうちに月光岩も登りたかったが叶わなかった。だが、なかば諦めていた息子ができた。彼の前で衰えるわけにはいかない。40代で登ればいいだけだ。
そのためにトレーニングが必要だ。あとは異常に減る右足のソールが必要だ。
スカルパさん。右足だけでいいからスポンサーについてください。
北山月光岩 day42

2024/12/7
ようやく冬を告げる天気予報。北山公園の本気のシーズンはここからだ。ラストパラダイスエリアに残していたプロジェクトも登って万全で絶叫岩へ。
前日までは楽しみで仕方なかったが、岩が近づくにつれて不安がつのってくる。
「全く何もできなかったらどうしよう。」
昨シーズンは本当に何もできなかった。一度だけ最高高度が出たが、再現できないどころか出来ていたはずの二手目が全くできないまま心が折れて開拓に逃げていた。
今シーズンもこれを繰り返すことになるんじゃないか。久しぶりのアプローチとのしかかる不安で少し息切れして岩の前に。

相変わらず何のホールドも無いキレイな月光岩がそこにいた。帰ってきたな。アゲハと違ってここは孤独な場所だ。北山公園の中でも外れにあって滅多にクライマーは来ない。必然的に一人で登る時間が多くなる。そんな自分との闘いの場所に帰ってきた。
この一年で何か成長しているかもしれない、そんな淡い期待と離陸すらできなかったらどうしようという不安が交錯しながらアップを済ませる。
トライするのが怖いが、考えていても仕方ない。頭を無にして岩に取り付く。もたもた何トライかして離陸をし、初手を押さえる。二手目に向かおうとするが全く乗り込めずに落下。
久しぶりだしこんなもんかなと思いつつも不安が大きくなる。「この岩は自分には登れないんじゃないか?」
そんな思いを振り払うようにトライを重ねるが、二手目への乗り込みが全くできない。「大丈夫、できるはず」そう言い聞かせてトライを繰り返していると、気づけば2時間も経っていた。そして気づけば不安が絶望になっていた。
「登りたい岩は月光岩だけではない。別にこれを諦めてもいい。誰かに求められてるわけでもない。」
心の中にある月光岩の箱をそっと閉じよう。最後のトライをしよう。指が裂けてもいいから全力でやろう。
そう決めてトライすると初手がしっくりハマった。無心で左足に力を入れると身体が少し持ち上がる。久しぶりに味わう感覚に鼓動が速まる。
二手目に手がかかった。焦りで人差し指が外れる。「関係ない、押し切れ。」そう思うと右足をあげて三手目へ。ティックをつけなかったことを後悔するぐらい探って漸く指先をかける。
持てた。
頭の中は真っ白だったが、身体が勝手に反応して左手を寄せる。
持てた。四手目。最高高度だ。意外と持てている。「このまま登れるんじゃないか!?」そう思った瞬間に右手が少し欠けて、気づけばマットの上にいた。

何が起こったのか、自分でも良く分からなかった。あれほどできなかった二手目取りが、月光岩を諦めようと思った最後のトライでできてしまった。
「諦めるなよ」
月光岩にそう言われてるとしか思えなかった。シーズンは始まったところだ。今シーズンは絶対に登る。
北山公園 最後の楽園
今シーズンの北山公園が終わった。

情熱を持って月光岩に挑み今シーズンこそ登るはずだった。しかしエンジンはかかることなく5日間トライしただけ。それでも絶望感はない。
登れなかった要因は、あげ出すとキリが無い。シーズン前に冷酷に集中した後に少し燃え尽きた。さらに身体のピークをそこに持ってきた。スタンス崩壊してバラせなくなった。暖冬だった。暖冬だった。暖冬だった。
まあ暖かったのは事実だが、やはり一番はスイッチが入らなかったことだ。
スイッチ入らなかったのは自分の気の持ちようでしかないが、その一因が北山公園の再発見だ。
ヤマダリングをして気づいたが、今まで岩を登っていたが課題を登っていただけで岩を探す感覚はなかった。岩の近くを通ったとしてもそこに課題を見出す感覚はなかった。それがヤマダリングを始めてからは岩を探す感覚が出てきた。
昨シーズン末に少しこの感覚が芽生えてきていたこともあり、北山公園番外地トポのエリアを徘徊していた。それでも日本のボルダリング発祥地とも言われる古いエリアで、そうそう見つかることはなく、一つ気持ちのいいダブルダイノ課題ができたぐらいであった。
今シーズンが始まって月光岩に大敗退したある日のこと。将棋岩の前を通ることすら嫌になって、車道を歩いて帰ることにした。うちひしがれて歩いていると、北山公園に大きな岩群が見える。あんな岩あるのか?そう思って航空写真で確認するとトポにもない南西部のゾーンだった。ワクワクが湧いてくる。
翌週福田さんに声をかけてそのエリアに足を踏み入れる。すると普段のアプローチから10mほどしか離れていないところに5mはある綺麗な岩が待ち構えていた。

この岩は流石に誰か登ってそうだが、さらに奥へとしばらく歩くとパラパラと岩が出てくる。何だこのエリアは?北山公園にこんなところがあったのか!?10年ほど通って初めて気がついた。こんな岩の楽園が北山公園に残されていたとは。
勝手ながらラストパラダイスエリアと名づけることにした。少し前にモンゴル800が出したアルバム名にもちなんで。北山公園に残されていた最後の岩の楽園ではないだろうか。
そこからは月光岩は忘れたかのように岩を掃除しては初登するという幸せな日々を過ごした。

新幹線岩

松霰岩
限界に一人で挑んでいた世界から、友人と新たに課題を見出す世界に。気づけば10課題以上はできていて、気づけばシーズンは終わっていた。プロジェクトも残っている。
来シーズンはこのエリアを完成させよう。
そして月光岩にも挑戦しよう。