アゲハを登ってから1年。
良くも悪くもアゲハを登ったことに引っ張られている気がしていた。
1年近く経った今も、久しぶりに会うクライマーにおめでとうと言われることもある。
面識のないクライマーにも、アゲハに打ち込んでいた人という認識を持たれていることがある。
それ自体はとても嬉しいことだが、自分でいつまでもアゲハを引きずっていたくはない。
たしかに、5年間ひたすらに打ち込んだアゲハの完登は、間違いなく現時点で、自分の中での最高の登攀だ。
ふとアゲハのことを思い出して、良かったなと考えてしまうこともある。ただ、アゲハのことを考えていても、強くなるわけはないし、何かを生み出すこともない。
先日、御岳で1年前には登れなかった『イントーキョー』を登った時にズミさんに言われた。
「前に来た時はアゲハを登っていないバチさんで、今ここに立っているのはアゲハに登ったバチさんだ。」と。
たしかにアゲハに登ったことで自信はついていた。
3段というグレードに腰が引けることもないし、難しい課題、難しい一手をはなから諦めることもなくなった。
前回登れなかった『イントーキョー』があっさり登れたのはその自信によるものかもしれない。
自信がつくとともに、諦めない気持ちも身についた。
どれほど困難なことでも、地道な努力をすれば何とかなるということを頭で理解しただけでなく、心の底に染みつけることができた。
また、最後に柴沼さんのアドバイスで登れたということも大きい。ただがむしゃらに登っていればできるようになるのではない。適切なやり方をしないと登れないものは登れない。
やはり正しいやり方での努力が必要だということも心に染みついた。
アゲハに向き合った日々は30代にして青春だった。クライマーとしても人間としても、アゲハに成長させて貰えた気がしている。
その成長を基にさらに新しいことをしていきたい。
新たな挑戦がしたい。
そのためにアゲハは引きずることなく忘れてしまって、新しいことに取り組みたい。
今回振り返ってアウトプットすることで改めて苦しくも楽しい日々だったことを、思い出せた。
これからは辛くなったら、この本を読んでいつでも思い出すことができる。
アゲハの思い出に浸らなくても、自信も諦めない精神も心に染み付いている。
だから頭の中からは、この思い出を消し去って前に向かって歩いていきたい。上に向かって登っていきたい。
魂のこもった登攀をしたい。