北山アゲハ

忘れないために、忘れるために、振り返る

北穂東稜 決意のジャミング

北穂高岳東稜

 

数年前から存在は認識していたものの、ロープを使って登る人も多いことから考えないようにしていたルート。

槍ヶ岳北鎌尾根はバリエーションルートだがロープを使う人はほぼいない。でも北穂東稜は多くの人がロープを使って登っている。

基本的に自分の挑戦的登山をするときは単独で登る僕には縁がないルート。そう考えていた。

 

2022年夏

北アルプスに行くようになってから、2年に1回ぐらいは自分の限界に挑戦する登山をしてきた。でも2年前に北鎌尾根に登ったときに怖さを感じたこともあってか、それから挑戦をしていない。この夏も黒部五郎岳でボルダーを楽しんだり、北岳を日帰りで登ったりと山そのものは楽しんでいたが、挑戦はしないつもりだった。

9月に入ってからも3連休が2つもあるのにも関わらず、特に山の計画は立てていなかった。この夏の山行を共にした能勢は、初めて一人で北アルプスに向かうと言う。それも上高地から北穂高槍ヶ岳を通って表銀座を燕岳に抜ける4日間のコース。

 

まさに冒険だな。

 

僕はこの冒険心を失っていた。やっぱり冒険がしたい。それに相応しい山を探そう。最初に思いついたのが南アルプスの鋸岳。一般登山道ではないが破線ルートで南アルプス最難関とも言われている。よし、登ろうとやる気をみせたが、土砂崩れの影響でマイカーが入れない状況になっている。今年はやめてまた今度にしようか。

 

でも冒険がしたい。

そう考えると心の奥に蓋を閉じて直していたはずの北穂東稜が飛び出してきた。一度飛び出してきたそいつは、箱に収まることはない。北鎌尾根のときもそうだった。

 

そうと決まれば後は計画を立てるのみ。

選択肢は3つ。

①涸沢にテントを張って空身で東稜

②北穂小屋泊で上高地から一気に東稜

③涸沢ヒュッテ泊で体調万全で東稜

 

ギリギリまで悩んで選択肢③を取ることにした。そしてさらに挑戦度合いを上げるために、北穂→奥穂→前穂を追加。登攀技術とメンタルの挑戦に加えて、少し衰えを感じる体力にも挑戦することにした。

壁は高ければ高い方がいい。油断するとすぐに逃げてしまいそうになるメンタルに気合を入れるためにも2日目の山行を長くした。

 

連休が近づくと、新たに台風発生の情報。天気には抗えないので計画を1日ずらす。雨の中登る自信はない。

 

休みを利用していつもより早くあかんだなに着くとしっかりと仮眠をとる。4時に目を覚ますと雨。大丈夫、晴れるはず。雨雲は弱気な心につけ込んでくる。強気な思いで上高地につくと靄の中だが、雨は降ってはいない。

まだ6時。

夜中まで大雨警報が出ていたことを考えると上出来だ。そう思って涸沢へと歩き始める。上高地は横尾までの区間がなかなか好きになれない。退屈なこともあって早足で歩き続ける。

 

7時半。

横尾は何度も通っているが、この橋を渡るのは9年ぶりか。福田さん、釘やんと登ったとき以来。あのときはテントに加えて水を6キロも担ぐという意味不明なことをしていたので、この時点でしんどかった。今日は小屋泊装備。軽快な足取りで橋を通過する。

 

9時過ぎ

涸沢着。早すぎた。遠くに青空はチラつくが涸沢カールはガスに包まれている。小屋の受付を終えるとカレーをいただく。小屋泊は快適だ。

 

10時

涸沢カールが姿を見せ、穂高連峰も少しずつ見えてきている。涸沢に点在するボルダー。よし、ヤマダリングをしよう。荷物の軽量化は測ったが、クライミングシューズは持ってきた。

涸沢に広がる岩の海は遠近感を狂わせる。いい感じのボルダーだと思って近づくと思いの外小さかったり、逆に大きすぎて手がつけられなかったり。マットがなかったこともあり、被った岩はあまり触らなかったが、1級はあると思われる垂壁フェースのカチラインを登れたので満足。

 

12時

そうこうしていると頭上から雲は全て消え去っていた。遠くに見える常念や大天井。目の前をぐるりと囲む穂高連峰。訪れる登山客がみな歓声のようなため息のような声を出す。

 

昼寝をしたり、山岳警備隊の人に東稜の情報を聞いたりしたりと絶景に囲まれた時間を過ごす。東稜は稜線に上がるまでが落石が多く非常に危ないので気をつけてくださいとのこと。その情報を聞いてさらに出発時間を早めることにして眠りに着く。

 

3時40分

アラームの1分前に目が覚める。身体の感覚は良さそうだ。ヒュッテの外に出ると涸沢カールに落ちてきそうなほどの満天の星空。天気は申し分ない。テント泊の人達が準備をする横を北穂に向かって歩き出す。バリエーションルートに入ってからが本番なので、それまではゆっくり登って体力を温存しよう。

 

4時20分

バリエーションの分岐あたりに来るも暗すぎてトレースもケルンも見えない。ガレ場を誤った方向に進んで浮石だらけのゾーンに突っ込むことは避けたいので岩陰で日の出を待つ。満天だった星空が薄くなり、大天井岳の向こうが明るくなってきている。

三日月よりさらに細い月が見えている。街中では見えることはないぐらいの細くて薄い月。山の中にいることを実感する。

 

4時45分

少しガレ場が見えるようになってきた。これ以上止まっていると身体が冷え切りそうなので再び歩き始める。踏み跡はあまり見えていないが、山岳警備隊の方に教えてもらっためざすべき場所は分かる。落石を起こさないように慎重に登り続ける。

Y字の右俣に入ると、草付きの岩場に。ここで雷鳥が出迎えてくれた。そして親切にも道案内。雷鳥の後を追いかけると稜線はすぐ近くに。最後の方で人間は到底行けそうにもないゾーンに突っ込むのでお別れ。野生動物は本当に逞しい。そう考えながら稜線にあがると、狙ったかのようにご来光が待ち構えていた。

 

朝焼けに染まる北アルプスの山々。その真っ赤に染まる東稜に取り付く。調べていた情報だと最後の懸垂下降ポイント以外にもところどころ巻道があるらしい。

でも、負けない。そう自分に言い聞かせてひたすら稜線の先端を歩く。両サイドは数百メートル下まで見渡せる。今まででもトップクラスの高度感。もちろん鎖はない。岩が崩れないか確かめながら一歩ずつ慎重に進んでいく。

今にも崩れ落ちそうな岩を動かないか確かめて進むが、ついつい息を止めてしまう。ときどきロウソクを吹き消すように強く息を吐いて呼吸を整える。

常に槍ヶ岳を遠くに見ながら、ガバを握りしめて慎重に登り続ける。

気がつくと最後の懸垂下降ポイントについていた。手前に右に巻きながら降りる道がある。まずは確認するために下を覗きに行く。安心できる場所までは10メートル近くあるだろうか。角度も垂壁に近い。上から覗き込むとその先の数百メートル下まで見渡せるため恐怖感が増す。

こんなところをクライムダウンできるのか?一瞬巻道が頭をよぎるが、しっかりと振り払う。仮にもボルダラーの自分が降りれないはずがない。そう言い聞かせると、岩の方を向き、空中に体を出す。

一歩二歩。二つの大きなクラック沿いに降りてみるとスタンスがある。いけそうだ。息が止まらないようにしっかりと深呼吸をする。

あと少し。そこまで来たところでスタンスが見当たらない。遠くにはあるが、今掴んでいるホールドだと届きそうにもない。他にホールドを見つけることができない。登るか?いや無理だ。慌てそうになる心を沈めて、冷静に辺りを探す。気持ちの持ち方が、熊野でのハイボールの経験もいきてきている。 それでもホールドが見当たらない。

そうか今使っているのはクラックだ。肩が入りそうなほどのクラック。ボルダリングで経験のあるハンドジャムをするには広すぎるが、迷わず右肩を下げて腕を突っ込む。腕を90度に曲げ、前腕を倒してスタックさせる。その技術の名前も分からないが確かに固定されている。これで左手は離せる。左手で下の方のホールドを押さえて再び右腕はジャミング。左足を伸ばすと何とかスタンスに届いた。

 

標高3000メートル付近でのやったことのないジャミング。

それは決死のジャミングではない。

決意のジャミング。

死ぬ覚悟があって無茶をしているのではない。ジャミングが滑ったら死ぬ、怖い、そういう弱気な自分をコントロールして、これなら自分にできると信じて出す一歩。

 

安全圏に降り立つと深く息を吐く。

見上げると北穂高小屋が上の方に見えている。

 

まだ終わりじゃないぞ、これから奥穂高、前穂高もめざすんだ。こんなところで油断するなよ。そう自分に言い聞かせて北穂高小屋へと登り始めた。

 

後書

長くなりすぎたので、北穂→奥穂→前穂は書かないが、晴天に恵まれて最高の山行となった。前穂高山頂に着くと北尾根から重い荷物担ぎながら登ってきた人達がいる。改めて自分は大したことはしていないと痛感させられる。それでも自分ができることをする。それが自分にとっての冒険と挑戦だ。