北山アゲハ

忘れないために、忘れるために、振り返る

another18

2021 夏

春から夏にかけてはコロナの影響でひたすらに仕事をしていた。それでも合間のジムではアゲハのことを忘れずに常に全力で。

夏になるとやはり登山の時期。8月下旬に3年前に登った槍ヶ岳北鎌尾根に向かう。
とても怖く、二度と来ないと思っていたはずなのに。

3年前の北鎌尾根で一つ心残りがあったからだ。

一般登山道ではない北鎌尾根を登るからには、人工物は使わないと決めていたが、たった一度だけロープを掴んでしまった。

不安定な足場で草の根を掴みながらあがる、北鎌のコルへの登りで精神的にも体力的にも疲れ果てていた。
その少し後に訪れた天狗の腰掛の手前、同じく崖を背負って垂直に近いところを少し登らないといけないポイント。そこに固定ロープはあった。
精根尽き果てていて、少しだけ悩んだものの、怖さの余りロープを掴んでしまった。

その時はあまり気にしていなかったが、結果的に2日目の核心部となる独票やチムニーで固定ロープを触らなかったことで、下山してからもほんの少しだけモヤモヤしていた。

別に誰が見ているわけでもない、ロープを使わないなんてルールがあるわけではない。自己満足の世界。

そして3年後の今年、当時はモヤモヤしていたものの、危険なルートにもう行く気はあまりなかったのだが、やはりもう一度登りたい気持ちが強くなってきた。

コロナの影響で、長野に登りに行くこと自体が批判されることもある状況。分かってはいるけれど、体力が低下してきていることも感じていて、チャンスがあれば登りに行きたかった。

そして訪れた北鎌尾根。
春から飛騨山脈群発地震が発生しており直前まで入山規制がかかっていた。そのせいで人の入った形跡があまりなくトレースが不明瞭。同じ日に北鎌尾根に入った人はおそらく誰もいない。

誰にも会うことなく北鎌のコルへの登りに取り付く。ここで前回との違いをヒシヒシと感じる。
体重が増えている。3キロも。
さらに前回は9月だったのが、この猛暑。

水はなくなるが、山頂までのことを考えてセーブ。これが良くなかったのか、両方の太ももがつり始める。
さらに前回大西さん達が厳しいと言っていた左にそれたコースをとってしまいタイムロス。
前回1時間半のところを2時間以上かけて、ようやく北鎌のコルにたどり着く。

またしても精根尽き果てていた。
そして訪れた固定ロープのポイント。

やはり悩んだ。
そして後ろを見てしまった。遥か下まで見通せる崖。
前回以上に疲れ果てた身体。つっている脚。

もう一度悩む。
ここまで大変な思いをして、何のためにここに来たのかと。
自分と向き合うのがこの北鎌尾根じゃないのかと。

覚悟を決めて取り付く。この3年でも岩の経験値は上がっていたのか、ホールドを次々に見つけることができた。下を見ないように、でも足元は見て正確に足を決める。

数手で安全圏に。

大きく息を吐く。

叫びたいところだったが、まだ初日。核心は2日目。嬉しい気持ちを抑えて、天狗の腰掛へ。

雷鳴を聞きながらテントを張って、しばし放心ののち睡眠。

夜中に一度目が覚めると満天の星空。
山の上の星空は足元まで見えて別世界。

誰もいない世界で一人堪能し、2日目に備えて眠りにつく。

快晴の中スタートをした独票からはクライマーにとってはボーナスステージ。
槍ヶ岳の北面を見続ける稜線通し。

しかし今回は、水の残量が不安。
いつもは下山時に1リットルは余っているというのに、既に1リットルを切っている。

稜線に日影はなく朝とは思えないほどの暑さ。
掴んでいる岩も熱くいつも以上に汗をかく。

喉の渇きが止まらない。加藤文太郎がやっていたという、梅干しを思い描いて唾液を出す作戦に出る。これが意外と効果的で、少し喉の渇きが抑えられる。

目の前に絶景が広がっているというのに、頭の中はずっと梅干し。何をしてるんだろう、と馬鹿馬鹿しくもなるが、無事に帰りたいという思いが勝つ。

何とか北鎌平に着いたときには水が枯渇していた。あと1時間ぐらいか。

最後の核心部を慎重に登る。
二回目というのに相変わらずルートは分からない。それでも一歩ずつ空に向かって歩みを進める。

最高の天気の中山頂へ。

心の中のモヤモヤが消え去ったのを表すかのような快晴。

ようやく出す大きな声。

言葉にはならなかった。